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ワカルヤツ限定

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ここは感情のゴミ捨て場です。

飽和(2011年11月6日)

視点には3つあり、一つ目が群集の内々の視点。
それを外から眺める観測的視点がもう一つ。

これらとは別に内から外側を見る視点がある。
自分は昔から「ペットボトルの中から客を見るジュースの視点」と思っている。

ある意味では別のものを捕らえる観測的視点なのだが、これが群衆の中に居るとまた違ってくる。
例えば個性的な集団の中から外を見た場合「我々は個性的である」という内々の感想から眺めてしまうことが多い。
個々で眺めるとまた別の感想を抱くこともあるが、内から外の世界を見たときになんとなくツマラナイと感じるのはこれが原因からだと思う。

これとは逆に内から外の世界を見て「楽しそう」と思うこともある。
言ってしまえば無い物ねだりと表現できてしまうが、実際には内々の視点が飽和状態なのだろう。
飽きてしまったとすると簡単ではあるものの、本質的には少し違うと思う。

元々持っていた内々の印象というのが不正解であったのだ。
というかこの認識は元より相対的には成り得ないわけで、正解の無い認識であるから仕方がないことでもある。
大抵の場合、それが原因で群集が崩壊する。

一番わかりやすい例を挙げるなら夫婦や恋人だろうか。
必ず口々に「こんな人だと思わなかった」、「こんなことになるとは思わなかった」という話をしている。
そうなるともうその場には居られなくなるし、その場に居ることが苦痛になってしまう。

結果として少しずつ離脱が始まる。
かつて内から外を見たときに特別だと感じていれば居るほど、その崩壊を止めることはできない。
ただその離散した群集、即ち個々はまた自然と別の群れを作り始める。

こういうところは妙に細胞というか、分子というか。
そういう原始的な部分の性質を引き継いでいるんだな、と妙に感心してしまうことがある。
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by yijin | 2011-11-06 11:56