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ワカルヤツ限定

yijin.exblog.jp

ここは感情のゴミ捨て場です。

2009/07/15

新作のDQ9が滅茶苦茶な評価を貰ってるみたいですね。
僕はドラクエシリーズ自体に触れたことが殆ど無いのでわかんないんですが、読んでいても「よっぽど」なんだろうなぁ…と。

ところでゲームにおける自由度ってどれくらい必要なんですかね。
個人的には不要な気がします。

基本は(1)やれないこと、(2)やれること、(3)やらなくてはいけないこと、の3つに別れると思うんですよ。
そのうちゲームの根幹は(3)にあって、(2)はプレイスタイルや自由度ということになり、(1)はそれに対する制限という感じで、それぞれ影響する場所が違うと思います。

このうちハイテクゲームには(2)を増やしすぎて味を薄めてしまうことが多いような気がします。
やれることが多いと言うのは自由な気がしますが、変な話、不便なのを遊ぶのがゲームだと思うんですよね。

普通に考えたら出来るだろ!って道を、あえて塞いで遠回りの道を探させる。
この言い方を変えると、そのまま「謎解き」や「テクニック」というものに集約されるんじゃないでしょうか。
だから意外と、極端に(2)を増やさない方が楽しめるんじゃないかなぁと言う風に考えたりしています。

今回のドラクエがどうなのかは知りませんが、メーカー側は少しハードルを下げて考えた方が良いんじゃないでしょうか。

またハイテクゲームの多くは(2)を体系的に管理する傾向があります。
ようするにスキル性だったりアイテムだったり、レベルや職業というものですね。

例えばオセロでは置く場所が決まっていません。
(1)の制限が入っていますが、基本的には体系というのは存在せず、プレイヤーの判断に任されています。
まぁ実際レトロタイプのもので、ゲーム最中にそれを管理し続けるのは無理ですから、仕方が無いことなのかもしれませんね。

ただ逆に言えばハイテクゲームではその管理をし過ぎている可能性というのも否定できないと思います。

もちろん(2)を体系的に扱えば、上位のものではそれだけ(1)の制限や(3)のクリアしなくてはならないポイント、というのが現れてきます。
そうなるとゲームの中にゲームを作ることになってしまい、またその中で「体系を管理し続けるため」のゲームというものを構成する必要が出てきてしまいます。

しかしそれでは(2)から外にはみ出した部分(ゲームの根幹を管理するポイント)の存在感ってなくなりませんかね?
気がつけばいつの間にか「できることの体系を管理するゲーム」になってしまうような気がします。
これでは広いはずの世界が狭く感じるのは仕方が無いことでは無いでしょうか。

それを補うようにプレイタイムを伸ばす長編化というのが出てきたのではないか、というようにも思います。
MMO系等でアップデートされ続ける「追加シナリオ」はこれに当てはまるんじゃないでしょうか。

トランプや将棋などのレトロタイプのものがそれら追加もなく、長く遊べているのは、(2)の体系管理が必要ないからとも考えることが出来ると思います。
そう考えるとゲームは表現上進化していますが、実質的には退化しているのかもしれませんね。
by yijin | 2009-07-15 11:13

by yijin