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ワカルヤツ限定

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ここは感情のゴミ捨て場です。

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そう言えば、最近ゲームと言うゲームをしていない。
MMOの引退と共にプレイすることを忘れてしまったかのような感覚だ。

これほどゲームに触れないのは小学校2年の時以来かもしれない。
かといって別段嫌いになったわけでも興味がなくなったわけでもないのが面白い。
毎日ニコニコでプレイ動画を見てるわけだから、どうもインポテンツとかEDの類になったわけではなさそうだ。

だから冒頭に言ったように「プレイすることを忘れてしまった」という表現が一番近いかもしれない。
同時に自分が何故これまでゲームをしていなければという強迫観念があったのかが不明でもある。

いや、待てよ?

確かにこれまでやっていたことは強迫観念によるものだった気がするな。
机の上で勉強をするように、テレビやパソコンの前だけで楽しみや娯楽を終わらせてしまう。
だとすると無理にやろうと思わない現状が正常なのかもしれない。

そう考えると生きがいや趣味と言うのは自分の生活の何割かを縛り付けて楽しむ「マゾヒスト」の遊びなのかもしれない。
まぁそれはそれで趣向性が合えば非常に快感だから、悪いことではないだろう。

なるほど、なんとなくこの状態は面白いね。
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by yijin | 2011-11-25 08:10
目が覚めたら窓一つ無い、コンクリで固められた部屋でした。
有るのはトイレとベッドと扉、あとはその前にある5つのボタンだけ。

怖くなり、大声で叫んでみたところ声が響きました。
見上げると天井は黒く、闇に包まれています。
どうも相当の高さがあるようです。

部屋をうろついていると、扉の前に設置されたボタンの付近に3つのことが書いてあることに気がつきました。

・この中に1つだけ扉が開くボタンがある
・4回間違えると扉は二度と開かない
・この部屋に居る限り食料は永遠に支給される

なるほど…と思い、あなたはボタンを押してみることにしました。

まず右から2つ目をポチ。
反応はありません。

次に左端をポチ。
これも不正解のようです。

残るは正解率1/3のボタン。
あなたはこのボタンを押すことが出来ますか?

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作成側からして注目して欲しい点は1つだけ。
それは出口に繋がっているものは5つのボタンしかない、というところです。
要するに確実に外へ出るには、その中にある1つのボタンを押すしかないわけですね。

そしてあなたは2回のチャレンジで失敗しています。
これは残る成功の確立を1/5から1/3へ押し上げていることになります。

しかし逆から見ると怖いですね。
失敗の確立は4/5 → 3/4 → 2/3と減っているにも関わらず、間違えることが出来る回数は減っている。
ボタンを押す前は3回は間違えられるものが、気がついたときには後1回に減っているわけです。

さて、その状況であなたはボタンを押すことが出来ますか?というお話。

疑心暗鬼というのは面白いもので、恐らくこうなってしまえば”本当に出られるボタンがあるのかどうか”ということも考えるでしょう。
また我慢していればもしかしたら助けが来るかもしれない…という考えも浮かんでくるかもしれません。
そうしたらボタンを押さないということも選択肢の1つになるでしょう。

たったコレだけの単純なルールですが、状況が持っている表と裏の考え方以外にも多面的に生まれてきます。
守るべきものが多く頭の中に過ぎる人間であればあるほどボタンを押すことが難しくなるのかもしれません。

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補足:
これは以前に考えた緊張と緩和、束縛と開放、静と動という観点1つに絞った演劇の設定です。

ちなみにその脚本では”これと同じ設定で映画を撮った監督”が主人公になります。
というわけで、部屋の中にあるものに彼の書いた台本(若しくは原作の本)が置いてあります。
果たして彼はそこから出ることが出来るでしょうか?
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by yijin | 2011-11-22 12:51
うん、正直怖いね。

今後の人生を考えると怖い。
けど、いちいち不安を口にしていても意味が無いことは知っている。

言霊って言ってね。
口にすることで、耳にすることでその言葉が現実になることがある。
だから、不安があっても自分の中で戦うようにしている。

それでもね、怖い時は怖い。
でも、なんとかするしかないってことも良く知っている。

こういうときは胸を張る。
自信が無くても、とにかく胸を張る。
それが少しずつだけど自分の軌跡になっていく。

うん、正直不安だよ。
だけど、そんなものに負けてはいられない。
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by yijin | 2011-11-21 17:05
確かに油断と言えば油断なのかもしれない。
久しぶりに、カッターナイフで手を切ってしまった。

非常に愚かである。

しかも今回は少し傷が深い。
親指の先端からチラッとだが肉片が飛んだ。
吹き出る血を見ながらも、自分が意外なほどに冷静だったのはビックリした。

それほど考えられない理由だった。

だって左手が、自らナイフに切られに行ったんだもん。
そりゃ驚きもするし、あっけにとられて動じないわ。

右手はというとただ構えていただけ。
さぁ切るぞ!っていう時に、何故か定規を押えていた左手がカタパルトから射出するように飛び出していった。
結果、肉片が飛んでいった…という形。

非常に間抜けな話だが、逆に得たこともいくらかある。

それは痛みと言うのは絶対的であって体内から出て行かない反面、相対的であるという点。
だから「コレとコレではどちらが痛い」というのが比較できるが、それを対外的に「コレはコレくらい痛い」と伝えることが出来ない。
このアタリマエなことがアタリマエである理由が理解できた、ということは非常に良かったような気がする。

ただ…まぁ、知らなくても良かったものでもあるのかもしれない。
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by yijin | 2011-11-10 12:55
先日、マビノギと言うオンラインゲームをやめた。
理由としては相方との口論から始まるという一時の感情的なものだったが、最終的には引退。

その日からしばらく考え込む日が続いていた。

しかし、戻ろうと言う意識は全く無かった。
何故かはわからないのだが、心の底ではどこかで潮時と考えていたのだろう。
まぁ確かに、少しずつ辞め方を考えていた部分もあったことは事実だ。

周りを混乱させてはしまったのは非常に心苦しかった。
が、説明をしても理解してもらえなかったりしたことについては「仕方がないこと」としてキッパリ諦めることにした。
後はおつかれさまでした、と終わる人はそこで終わり。

中には少しだけだが「このままサヨナラは寂しい」と言ってくれた人がいる。
少し考えたのだけど、嬉しかったからそのままネットの友達として関係をもてたら良いなと素直に思えた。

そして現在に至る。


マビノギについては頭にくることも多々あったけど、楽しくやらせてもらったのは良かった。
ただゲームとして見た時には悪い意味で「そろそろ末期かな」と感じる点があり、その点をどう克服していくのだろうという疑問がある。

ちなみに引退の潮目と感じたのもそこの一点。
多分、現在起きているキャラクター力のインフレを押えることは出来ないだろう。
と言うのもそれをしてしまえば「有力な金脈」である古参、ハードユーザーにストレスを与えてしまうからだ。

しかしそれをしなければ新規の獲得は見込めないし、中間層、ライトユーザーとの差は開く一方。
果たしてそれをどうしていくのかというのがマビノギの、いや、全てのオンラインゲームが抱える問題と言えるかもしれない。

同時にユーザーが遊ばされることに慣れきっているのが気になる。
あれだけ豊富な動きが出来て、あれだけ多くのことが出来るのに口コミで広がる「遊び」というのがない。
ゲームの継続期間が長いわけだから、そういう別のテンプレートが生まれても可笑しくはないとは思うのだが…

その辺りでプレイヤーがもっと工夫しないと、サービスの寿命を縮める結果になる。
現在ですらイベントのリバイバル化が進んでいるわけだから、運営にはかなりの負担がかかっているだろう。
求めるだけでなく、新しい楽しみを提供することも「その世界の住人」として大切なポイントだと思う。
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by yijin | 2011-11-07 08:49
視点には3つあり、一つ目が群集の内々の視点。
それを外から眺める観測的視点がもう一つ。

これらとは別に内から外側を見る視点がある。
自分は昔から「ペットボトルの中から客を見るジュースの視点」と思っている。

ある意味では別のものを捕らえる観測的視点なのだが、これが群衆の中に居るとまた違ってくる。
例えば個性的な集団の中から外を見た場合「我々は個性的である」という内々の感想から眺めてしまうことが多い。
個々で眺めるとまた別の感想を抱くこともあるが、内から外の世界を見たときになんとなくツマラナイと感じるのはこれが原因からだと思う。

これとは逆に内から外の世界を見て「楽しそう」と思うこともある。
言ってしまえば無い物ねだりと表現できてしまうが、実際には内々の視点が飽和状態なのだろう。
飽きてしまったとすると簡単ではあるものの、本質的には少し違うと思う。

元々持っていた内々の印象というのが不正解であったのだ。
というかこの認識は元より相対的には成り得ないわけで、正解の無い認識であるから仕方がないことでもある。
大抵の場合、それが原因で群集が崩壊する。

一番わかりやすい例を挙げるなら夫婦や恋人だろうか。
必ず口々に「こんな人だと思わなかった」、「こんなことになるとは思わなかった」という話をしている。
そうなるともうその場には居られなくなるし、その場に居ることが苦痛になってしまう。

結果として少しずつ離脱が始まる。
かつて内から外を見たときに特別だと感じていれば居るほど、その崩壊を止めることはできない。
ただその離散した群集、即ち個々はまた自然と別の群れを作り始める。

こういうところは妙に細胞というか、分子というか。
そういう原始的な部分の性質を引き継いでいるんだな、と妙に感心してしまうことがある。
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by yijin | 2011-11-06 11:56
写真のサークルの旅行に足を運んだとき、ある光景を目にした。
それを見て「人は集団になると個性を失う」というものを理解したように覚えている。

しかし、残念ながらどんな光景だったのかはほとんど記憶に無い。
それほどまでに普通の出来事だったし、他愛も無いレベルのことだったと思う。
でも妙にビリビリとした、微弱な電気が走ったような衝撃を脳が覚えている。

確かに感想としては「あぁ、こう見えるんだ」程度のもの。

内部同士での視点ではそれぞれが個性的に見えたままになる。
特に写真のサークルに関しては、失礼な表現だが変な奴のゴッタ煮状態。
個性がなくなりようが無いじゃないか、という感想もなくはないのかもしれない。

しかし一歩引いてみると群集全体での個性に切り替わる。
例えば公園を見たときに鬼ごっこしている小学生がいたとしてみよう。

最初の印象は小さい子供たちが遊んでいる。
元気だな。小学生かな?楽しそうだな。

こういった全体的な印象を先に受け取ると思う。
恐らくこれは「集団としての個性」であって、個々の持っているものとはまた別のもの。

そこからしばらく眺めていると背が大きい小さい、足が早い遅いなどが目に付き始める。
個々の性質という点ではここからで、大抵の場合は擦違いざまに見るだけだからそこまでしっかりとは目に入ってこない。

だから当人達が「個性的で楽しい奴ら」と思っている印象は回りには伝わらない。
その一見ネガティブに捕らえられそうな特徴が非常に面白かった。

写真サークルの人たちは基本的に良い人だし、面白い人たちだ。
でもそれを理解するには内々の視点でないとわからないし、それを知り得るには少し高いハードルを飛ばないと行けない。

ちなみに前出の「好きだった先輩」が秀でていたのはこの部分だろう。
あの人は嘘か本当かはわからないが物事を上手く誇張し、立体的に多角的に魅せる方法を知っていた。
それ故に彼が話す思い出話にはいつも、涙が出るほど笑わせてもらった。

多分彼には観測的視点っていうのが備わっていたのだと思う。
だから内々のものを外から見たときに、どのように伝えたら良いのかという問題を解消できていたのだと思う。
自分は未だにあんな頭の良い人を見たことがない。

そして彼との出会いがあったからこそ、自分は今の視点を手に入れることが出来た。
彼が居なかったら、恐らく相方に対するサポートも何も無かっただろう。

そう、私は彼のコピーなのだ。
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by yijin | 2011-11-06 11:30
確か札幌に渡って直ぐじゃないかな。
当時出始めだった携帯電話のCMで使われていたキャッチコピーだったと思う。

それがワカルヤツ限定。

以来気に入ってしまい、ことあるごとにこの名前を使っていた。
というか作ったブログや日記、全てにつけたな。

その頃、自分は大学のサークルと知り合うことになる。

一つ目はコンピューターサークル。
というのも名ばかりで、基本的にカードゲームばっかりやってたような気がする。
中身は実に仲が悪かったなぁ。

でも相棒とはそこで出会ったのが皮肉というか面白いところかもしれない。
彼とは元々特別な接点があったわけじゃないけど、自然と無理せず仲良くなっていった。

私が札幌で見つけた一番の宝物だと思う。

次に後輩。
あのサークルに誘うのはどうかと思ったが、確か当時の部長が連れてきたように覚えている。
初の女性部員ってことで凄く嬉しかった反面、最初はどう接してよいのかわからなかった。

でも良い奴だ。
片方は北海道で立派にお母さんやってるし、もう片方も青森で立派にお母さんやってる。
彼女らの家族に何かあったときには、何が何でも力になりたいって思える、素晴らしい後輩…というか友達だわね。

実のところ迷惑ばっかりかけているという話しもあるが、まぁ諦めてもらおう。
自分の性格や生き方は知ってるだろうしね。

と、他人に任せる悪い癖。


次に写真のサークル。
上のパソコンの奴も壮だけど、どうもメインの活動が別のものになってるように思える。
だってカメラ構えてる人より被写体として動いてる人のほうが多い気がするんだ。

もちろん、自分を含めて。

ということで最終的にはただの旅サークルと化したところ。
ちなみにどちらも廃部になってるはず…だよね。

そこで出会えたのは、これまたパワフルな面々。
ただ実を言うと自分は名簿に名前を書いた記憶がないから正確には部員じゃないと思うんだけど。
果たしてそれでも良いのだろうか?という疑問は常に抱いていた。

一番は上のパソコンのところと被るけど、自分のゲームの師匠だわね。

曖昧だった自分のゲーム観、ゲーム感というのを体系着けた人。
ただそのパワフルさ故の言動についていけなくなり、今はちょっと距離をとっている。
でも面白い人であることは間違いない。

次に自分が一番好きだったと言っても過言じゃない先輩。
互いにダメ人間だったけど、いつもしっかり自分を見てくれて悪いところは悪いとしっかり言ってくれる。
失踪しちゃって最後は顔をあわせられなかったのが残念だったけどね。

でも良いんだ。
それもまたあの人らしいじゃん。

後は同級生か。
出会いはゲームの師匠に連れられて部屋に遊びに行ったのが最初。
でもその時は一言も会話をしなかったように思う。

自分は眠たかったし、そのゲームに興味が無かったし。
それから少しずつ学校で会うようになり、交流が深まって行った。
最後は彼が車を出して自分が料理を作るというなんとも不思議な関係に。

そこに相棒や後輩、その他の友達も加わり、もしかすると一番面白い時期だったかもしれない。
ゲームを作ろう、形にしようって思ったのもそこからだしね。

考えてみるとゲームの師匠を含めてこの3人とはサークルに出会う前のこと。
だから厳密に言うと写真サークルはあまり関係ないと言えるのかもしれないけど、共有する時間が増えて世界が開けた部分もあるから、不要だったってわけじゃないだろう。

実際それなりに楽しかったしね。

ただ性格的に引き篭もり体質なのかな?
大勢の中に居ると、どうも居心地ってのが快適にならなかったのを覚えている。
そういう意味では写真サークルとして動くの自体は苦手だったな。

ま、それはそれで。
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by yijin | 2011-11-06 10:22
自分の過去の日記を読み直してみた。
うーむ…手前味噌で悪いんだけど、面白いね。
こんな感想は自分だけかもしれないけど、良い文章書いてるよ。

いや、自分だけわかれば良いんだよ。
だってワカルヤツ限定だもん。

それで良いんだって、ちょっとパワーを貰った気がする。
何があろうと、オレは結局オレなんだ。

ありがとう、過去の自分よ。
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by yijin | 2011-11-05 16:46
少し前とある友人に言ったんだ。

死んだらダメだよって。

そうしたらこう帰ってきた。


それを言っていいのは相手の人生背負える人だけだよ。

私は少なくとも彼女に出来る。

彼女一人だったら食わせていく自信がある。

あなたは私を背負える?

無理だよね。

だから言っちゃダメ。


聞いたとき言葉が出てこなかった。

あれからその友人と少しずつ話が出来なくなってきた。

考え方はわかるんだけどね。

人を背負うってそんな簡単か?ってずっと続く疑問。

それを解決しなきゃ話が出来ないくらいだった。


いや少しの間なら誰でも出来るんだ。

1年とか2年とかなら無理すればなんとでもなる。

けれど長くは続かない。

自分が倒れたらそこで終わる。

もし背負えなくなったら相手はどうしたら良い?

少なくとも体が万全じゃない人が言えるセリフじゃないはずだ。

それは未だに思う。


結婚を意識するようになって余計にそれは感じる。

相手の健康を祈るよりもまず自分が生き残らなきゃいけない。

もし奇麗事を並べても倒れてばかりなら通用しない。

健康的に寝て起きて飯食って。

そういうのを相手のために繰り返すことが出来て初めて奇麗事が成立する。

良い例も悪い例も目の前で見てきた。

だからこそ誰かを背負うって言うのは本当に難しいことだと思える。


今それを考えながら支度をしている。

体を治療するのもそう。

住む所を考えるのもそう。

失敗は乗り越えていけば良い。

けど失敗を前提に置いて突き進むのは無責任だ。

人を背負うのは常に慎重でなければならないと私は思う。

真面目すぎると言われてもそれは崩していけない。


だから多分受け入れられなかったんだろう。

でもそれで良かったのかもしれない。

今はなんとなくそう思える。
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by yijin | 2011-11-05 14:22