ブログトップ

ワカルヤツ限定

yijin.exblog.jp

ここは感情のゴミ捨て場です。

写真のサークルの旅行に足を運んだとき、ある光景を目にした。
それを見て「人は集団になると個性を失う」というものを理解したように覚えている。

しかし、残念ながらどんな光景だったのかはほとんど記憶に無い。
それほどまでに普通の出来事だったし、他愛も無いレベルのことだったと思う。
でも妙にビリビリとした、微弱な電気が走ったような衝撃を脳が覚えている。

確かに感想としては「あぁ、こう見えるんだ」程度のもの。

内部同士での視点ではそれぞれが個性的に見えたままになる。
特に写真のサークルに関しては、失礼な表現だが変な奴のゴッタ煮状態。
個性がなくなりようが無いじゃないか、という感想もなくはないのかもしれない。

しかし一歩引いてみると群集全体での個性に切り替わる。
例えば公園を見たときに鬼ごっこしている小学生がいたとしてみよう。

最初の印象は小さい子供たちが遊んでいる。
元気だな。小学生かな?楽しそうだな。

こういった全体的な印象を先に受け取ると思う。
恐らくこれは「集団としての個性」であって、個々の持っているものとはまた別のもの。

そこからしばらく眺めていると背が大きい小さい、足が早い遅いなどが目に付き始める。
個々の性質という点ではここからで、大抵の場合は擦違いざまに見るだけだからそこまでしっかりとは目に入ってこない。

だから当人達が「個性的で楽しい奴ら」と思っている印象は回りには伝わらない。
その一見ネガティブに捕らえられそうな特徴が非常に面白かった。

写真サークルの人たちは基本的に良い人だし、面白い人たちだ。
でもそれを理解するには内々の視点でないとわからないし、それを知り得るには少し高いハードルを飛ばないと行けない。

ちなみに前出の「好きだった先輩」が秀でていたのはこの部分だろう。
あの人は嘘か本当かはわからないが物事を上手く誇張し、立体的に多角的に魅せる方法を知っていた。
それ故に彼が話す思い出話にはいつも、涙が出るほど笑わせてもらった。

多分彼には観測的視点っていうのが備わっていたのだと思う。
だから内々のものを外から見たときに、どのように伝えたら良いのかという問題を解消できていたのだと思う。
自分は未だにあんな頭の良い人を見たことがない。

そして彼との出会いがあったからこそ、自分は今の視点を手に入れることが出来た。
彼が居なかったら、恐らく相方に対するサポートも何も無かっただろう。

そう、私は彼のコピーなのだ。
[PR]
# by yijin | 2011-11-06 11:30
確か札幌に渡って直ぐじゃないかな。
当時出始めだった携帯電話のCMで使われていたキャッチコピーだったと思う。

それがワカルヤツ限定。

以来気に入ってしまい、ことあるごとにこの名前を使っていた。
というか作ったブログや日記、全てにつけたな。

その頃、自分は大学のサークルと知り合うことになる。

一つ目はコンピューターサークル。
というのも名ばかりで、基本的にカードゲームばっかりやってたような気がする。
中身は実に仲が悪かったなぁ。

でも相棒とはそこで出会ったのが皮肉というか面白いところかもしれない。
彼とは元々特別な接点があったわけじゃないけど、自然と無理せず仲良くなっていった。

私が札幌で見つけた一番の宝物だと思う。

次に後輩。
あのサークルに誘うのはどうかと思ったが、確か当時の部長が連れてきたように覚えている。
初の女性部員ってことで凄く嬉しかった反面、最初はどう接してよいのかわからなかった。

でも良い奴だ。
片方は北海道で立派にお母さんやってるし、もう片方も青森で立派にお母さんやってる。
彼女らの家族に何かあったときには、何が何でも力になりたいって思える、素晴らしい後輩…というか友達だわね。

実のところ迷惑ばっかりかけているという話しもあるが、まぁ諦めてもらおう。
自分の性格や生き方は知ってるだろうしね。

と、他人に任せる悪い癖。


次に写真のサークル。
上のパソコンの奴も壮だけど、どうもメインの活動が別のものになってるように思える。
だってカメラ構えてる人より被写体として動いてる人のほうが多い気がするんだ。

もちろん、自分を含めて。

ということで最終的にはただの旅サークルと化したところ。
ちなみにどちらも廃部になってるはず…だよね。

そこで出会えたのは、これまたパワフルな面々。
ただ実を言うと自分は名簿に名前を書いた記憶がないから正確には部員じゃないと思うんだけど。
果たしてそれでも良いのだろうか?という疑問は常に抱いていた。

一番は上のパソコンのところと被るけど、自分のゲームの師匠だわね。

曖昧だった自分のゲーム観、ゲーム感というのを体系着けた人。
ただそのパワフルさ故の言動についていけなくなり、今はちょっと距離をとっている。
でも面白い人であることは間違いない。

次に自分が一番好きだったと言っても過言じゃない先輩。
互いにダメ人間だったけど、いつもしっかり自分を見てくれて悪いところは悪いとしっかり言ってくれる。
失踪しちゃって最後は顔をあわせられなかったのが残念だったけどね。

でも良いんだ。
それもまたあの人らしいじゃん。

後は同級生か。
出会いはゲームの師匠に連れられて部屋に遊びに行ったのが最初。
でもその時は一言も会話をしなかったように思う。

自分は眠たかったし、そのゲームに興味が無かったし。
それから少しずつ学校で会うようになり、交流が深まって行った。
最後は彼が車を出して自分が料理を作るというなんとも不思議な関係に。

そこに相棒や後輩、その他の友達も加わり、もしかすると一番面白い時期だったかもしれない。
ゲームを作ろう、形にしようって思ったのもそこからだしね。

考えてみるとゲームの師匠を含めてこの3人とはサークルに出会う前のこと。
だから厳密に言うと写真サークルはあまり関係ないと言えるのかもしれないけど、共有する時間が増えて世界が開けた部分もあるから、不要だったってわけじゃないだろう。

実際それなりに楽しかったしね。

ただ性格的に引き篭もり体質なのかな?
大勢の中に居ると、どうも居心地ってのが快適にならなかったのを覚えている。
そういう意味では写真サークルとして動くの自体は苦手だったな。

ま、それはそれで。
[PR]
# by yijin | 2011-11-06 10:22
自分の過去の日記を読み直してみた。
うーむ…手前味噌で悪いんだけど、面白いね。
こんな感想は自分だけかもしれないけど、良い文章書いてるよ。

いや、自分だけわかれば良いんだよ。
だってワカルヤツ限定だもん。

それで良いんだって、ちょっとパワーを貰った気がする。
何があろうと、オレは結局オレなんだ。

ありがとう、過去の自分よ。
[PR]
# by yijin | 2011-11-05 16:46
少し前とある友人に言ったんだ。

死んだらダメだよって。

そうしたらこう帰ってきた。


それを言っていいのは相手の人生背負える人だけだよ。

私は少なくとも彼女に出来る。

彼女一人だったら食わせていく自信がある。

あなたは私を背負える?

無理だよね。

だから言っちゃダメ。


聞いたとき言葉が出てこなかった。

あれからその友人と少しずつ話が出来なくなってきた。

考え方はわかるんだけどね。

人を背負うってそんな簡単か?ってずっと続く疑問。

それを解決しなきゃ話が出来ないくらいだった。


いや少しの間なら誰でも出来るんだ。

1年とか2年とかなら無理すればなんとでもなる。

けれど長くは続かない。

自分が倒れたらそこで終わる。

もし背負えなくなったら相手はどうしたら良い?

少なくとも体が万全じゃない人が言えるセリフじゃないはずだ。

それは未だに思う。


結婚を意識するようになって余計にそれは感じる。

相手の健康を祈るよりもまず自分が生き残らなきゃいけない。

もし奇麗事を並べても倒れてばかりなら通用しない。

健康的に寝て起きて飯食って。

そういうのを相手のために繰り返すことが出来て初めて奇麗事が成立する。

良い例も悪い例も目の前で見てきた。

だからこそ誰かを背負うって言うのは本当に難しいことだと思える。


今それを考えながら支度をしている。

体を治療するのもそう。

住む所を考えるのもそう。

失敗は乗り越えていけば良い。

けど失敗を前提に置いて突き進むのは無責任だ。

人を背負うのは常に慎重でなければならないと私は思う。

真面目すぎると言われてもそれは崩していけない。


だから多分受け入れられなかったんだろう。

でもそれで良かったのかもしれない。

今はなんとなくそう思える。
[PR]
# by yijin | 2011-11-05 14:22
かく言う私も人間なのよ。

偉そうって言われるのはまぁ良いよ。

自覚してるし。

力が無いのもわかってるから。

けどね。

ショックなことが起きたときにさ。

確かに冷静な判断も行動も出来なかったけどさ。

返答次第では今後の付き合い方を考えさせてもらう。

そんなん言われて無理してまで関係続けて欲しくないわ。

彼の感性を疑うよ。

今になっても怒りが収まらない。

腹が立つ。

二度と戻るか。
[PR]
# by yijin | 2011-11-05 13:55
人間は感情の生き物。

とはよく聞く話だ。

けど、大抵はネガティブな意見で使われる。

不思議だね。

感情って悲しいとか辛いとか、そんなんばっかりだっけ?

っていう疑問も多分、多くの感情の一つなんだろうな。

泣いたり怒ったり喚いたりするのも確かに感情。

だけど楽しいのも嬉しいのも感情の生き物だからこそ。

なのにそっちは含まれない。

もしかして、アタリマエってこと?

笑顔でいられるってアタリマエってこと?

うーん、そうなのかなぁ。
[PR]
# by yijin | 2011-10-27 16:18
君に伝えたいこと。

届けたいこと。

どんなに思っていても、伝わらない。

届かない。

心で形が出来たのに、どうしたらいい?

考えるんだ、頭で。

動くんだ、足で、手で。

君が伝えたいこと、届けたいこと。

声に出して響かせるんだ。

それでも伝わらないかもしれない。

届かないかもしれない。

でもやらなきゃ心から出て行かない。

響け、響かせるんだ。
[PR]
# by yijin | 2011-10-01 09:56
わかったことがある。

どうもtwtterは合わないね。

自分には多分、140文字は短すぎるんだ。

それに、間がとれない。

なんか言葉と言葉の間が開いてないと、余韻がない。

もったいないね。

余韻がなければ響かない。

響かなかったら、真意は伝わらない。

鐘の音と同じ。

間抜けにも「ごぉぉぉん」って、遠くに遠くに響くから伝わる。

花火も同じ。

見上げてないと見えないけど、遠くに遠くにその存在を、一瞬を届けることが出来る。

それは静寂の中から生まれるもの。

静寂の中へと消え行くもの。

たぶん伝書鳩としては高性能だけど、言葉を伝えるのには適してないんだろうね。

あくまで情報、ただの文字。

なんだ、最初の印象通りじゃないか。

やっぱり僕はtwtterが苦手である。
[PR]
# by yijin | 2011-09-30 13:20
誰かが地面に線を引き始めた。
そして”ここは僕の”と切り取り始めた。

誰かが地面に線を引いた。
そして”ここは僕の”と切り取り始めた。

誰かが地面に線を引いた。
そして”ここは僕の”と切り取りだした。

誰もが地面に線を引いた。
そして”ここは僕の”と切り取りだした。


誰かが自分の地面を眺め、もっと欲しいと思い出した。
見てない間にこっそり入り、誰かの線を消しだした。

誰もが自分の地面を眺め、もっと欲しいと思い出した。
見てない間にこっそり入り、誰かの線を消しだした。

誰かが自分の地面を眺め、あっちが欲しいと言い出した。
見てない間にこっそり入り、自分の線を書き出した。

誰もが自分の地面を眺め、もっと欲しいと思い出した。
見てない間にこっそり入り、自分の線を書き出した。


誰かに消された線を見て、僕は地面を蹴りつけた。

誰かが消した線を見て、誰かが地面を蹴りつけた。

僕に消された線を見て、誰かが地面を蹴りつけた。

僕に書かれた線を見て、誰かが地面を蹴りつけた。


僕が誰かの背後に迫る、棒を構えて静かに迫る。

誰かが僕の背後に迫る、棒を構えて静かに迫る。

誰かが誰かの背後に迫る、棒を構えて静かに迫る。

誰もが誰かの背後に迫る、棒を構えて静かに迫る。


振り下ろす先には誰かの頭、棒の先には誰かの命。

振り下ろす先には僕の頭、棒の先には僕の命。

振り下ろす先には誰もの頭、棒の先には誰もの命。

振り下ろす先には僕の頭、棒の先には僕の命。


誰かが流した赤い血は、大地にぽたりと花咲かせ。

僕が流した赤い血は、大地にぽたりと花咲かせ。

誰もが流した赤い血は、大地にぽたりと花咲かせ。

散る事もなく川になり、連なる体に命は宿らず。
[PR]
# by yijin | 2011-06-28 16:55
幸運のかけらを集めよう。

誰かが壊した幸せの、砕けたかけらを集めよう。

そうしてできた僕の幸せ、君の幸せ。

砕けて散って、また探す。


幸運のかけらを集めよう。

誰かが隠した宝物、探して見つけてまた隠そう。

そうして埋もれた僕の幸せ、君の幸せ。

春には小さな、花が咲く。


幸運のかけらを集めよう。

誰かが流した涙色、集めてかけらに水をやろう。

そうして咲いた僕の幸せ、君の幸せ。

枯れては散って、また探す。


幸運のかけらを集めよう。

誰もが忘れた幸せの、砕けたかけらを集めよう。

そうして見つけた僕の幸せ、君の幸せ。

忘れて散って、また探す。
[PR]
# by yijin | 2011-06-28 16:45