昔、写真の合成してた時期があったんだよね。
今日はそのお話。
遡れば大学時代…じゃないな、高校?中学くらいだろうか。
ちゃんとした自我って言うのが目覚めて、色んなものを考えて眺めるようになりました。
その結果、世の中って言うのはなんて歪んで、多面性に富んでいるんだろう…と。
ある種の絶望ですよね。
で、例に漏れず苦しみました。
自分はどうやってこの時代ってやつに傷跡を残していけるだろうか。
この見えている、歪んだ世界をどうやって伝えられるだろか。
それで色んなものをやってみました。
絵を描いたこともあるし、ボードゲームを作っていたこともある。
けど、やっぱり満たされないんですよね。
何故かっていうと、自分は不器用なんですよ。
思ったこと、考えたことを頭から体、そして外へと出力するのが凄く難しい。
結局自分じゃイチから何にも出来ないんだなぁ…って感じた時、偶然やった写真の合成にピンと来ました。
ジャンル的にはコラージュになるんだろうか?
写真を見てその一部(もしくは全部)に着目して、全く違う絵を作り出す。
それは上下左右みんな対象なんだけど、見ていると妙な不安定感に襲われる。
僕が見ていた世界の秩序ってそんなものだったんです。
凄く組織的で、常識的で、凄く安定しているように見えて…でもいつかひっくり返りそうで。
脆くて、不気味で、妙に無機質なものでした。
で、それを作っていたんですね。
自分の目に映っていたものがそこにはあって、手前味噌ながら凄く感動しました。
表現として見て凄く稚拙ではあると思うんだけど「そうそう、世界ってこうだよ!」みたいな感じですかね。
だから作っていて凄く楽しかったです。
昔あったLOAPSってサイトでは、名前は教えてくれなかったけど有名な方が欲しいって言ってくれたみたいです。
それと潰れてしまったんだけど、オンラインでアーティストの作品をやり取りするサイトに参加しないか?って誘われました。
振り返ってみると、自分の見てる世界には一定の評価をしてもらえたんだと思います。
しかし止めてしまった。
理由は簡単で、一番認めて欲しい人に認めてもらえなかったってことですね。
そしてその人が辛そうにしてるのを見て「自分はアーティストとして生きてはいけないんだな」と悟りました。
多分ですが、それも世界の持つ歪みの一つなんでしょう。
それから結局1枚も新しいものを作っていません。
チャレンジしたことはあるんだけど、その時と同じような面白味って言うのは感じなくなりましたね。
結局、自身としてもそこが臨界点だったんだろうなぁと思っています。
作品や表現に対する未練っていうのは、正直言って無いわけじゃない。
けどやっぱり自分は自分の大切なものたちのために生きたいって思いますからね。
この生き方はこれで悪くないだろうと思っています。
それに一生に一度だけでも自分の表現っていうのを得られたことについて喜ぶべきじゃないかと。
みんなそれぞれ奥底に持ってるものがあっても、そこに手が届くことは多くないでしょうから。
ただ…思うのですよ。
人の可能性を広げるのも潰すのも、所詮は人であるって。
そしてそれこそが世の中を歪んで多面性に富んだ世界にしているそのもの、なんですね。
今日はそのお話。
遡れば大学時代…じゃないな、高校?中学くらいだろうか。
ちゃんとした自我って言うのが目覚めて、色んなものを考えて眺めるようになりました。
その結果、世の中って言うのはなんて歪んで、多面性に富んでいるんだろう…と。
ある種の絶望ですよね。
で、例に漏れず苦しみました。
自分はどうやってこの時代ってやつに傷跡を残していけるだろうか。
この見えている、歪んだ世界をどうやって伝えられるだろか。
それで色んなものをやってみました。
絵を描いたこともあるし、ボードゲームを作っていたこともある。
けど、やっぱり満たされないんですよね。
何故かっていうと、自分は不器用なんですよ。
思ったこと、考えたことを頭から体、そして外へと出力するのが凄く難しい。
結局自分じゃイチから何にも出来ないんだなぁ…って感じた時、偶然やった写真の合成にピンと来ました。
ジャンル的にはコラージュになるんだろうか?
写真を見てその一部(もしくは全部)に着目して、全く違う絵を作り出す。
それは上下左右みんな対象なんだけど、見ていると妙な不安定感に襲われる。
僕が見ていた世界の秩序ってそんなものだったんです。
凄く組織的で、常識的で、凄く安定しているように見えて…でもいつかひっくり返りそうで。
脆くて、不気味で、妙に無機質なものでした。
で、それを作っていたんですね。
自分の目に映っていたものがそこにはあって、手前味噌ながら凄く感動しました。
表現として見て凄く稚拙ではあると思うんだけど「そうそう、世界ってこうだよ!」みたいな感じですかね。
だから作っていて凄く楽しかったです。
昔あったLOAPSってサイトでは、名前は教えてくれなかったけど有名な方が欲しいって言ってくれたみたいです。
それと潰れてしまったんだけど、オンラインでアーティストの作品をやり取りするサイトに参加しないか?って誘われました。
振り返ってみると、自分の見てる世界には一定の評価をしてもらえたんだと思います。
しかし止めてしまった。
理由は簡単で、一番認めて欲しい人に認めてもらえなかったってことですね。
そしてその人が辛そうにしてるのを見て「自分はアーティストとして生きてはいけないんだな」と悟りました。
多分ですが、それも世界の持つ歪みの一つなんでしょう。
それから結局1枚も新しいものを作っていません。
チャレンジしたことはあるんだけど、その時と同じような面白味って言うのは感じなくなりましたね。
結局、自身としてもそこが臨界点だったんだろうなぁと思っています。
作品や表現に対する未練っていうのは、正直言って無いわけじゃない。
けどやっぱり自分は自分の大切なものたちのために生きたいって思いますからね。
この生き方はこれで悪くないだろうと思っています。
それに一生に一度だけでも自分の表現っていうのを得られたことについて喜ぶべきじゃないかと。
みんなそれぞれ奥底に持ってるものがあっても、そこに手が届くことは多くないでしょうから。
ただ…思うのですよ。
人の可能性を広げるのも潰すのも、所詮は人であるって。
そしてそれこそが世の中を歪んで多面性に富んだ世界にしているそのもの、なんですね。
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by yijin
| 2011-03-01 09:41