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ワカルヤツ限定

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ここは感情のゴミ捨て場です。

群集(2011年11月6日)

写真のサークルの旅行に足を運んだとき、ある光景を目にした。
それを見て「人は集団になると個性を失う」というものを理解したように覚えている。

しかし、残念ながらどんな光景だったのかはほとんど記憶に無い。
それほどまでに普通の出来事だったし、他愛も無いレベルのことだったと思う。
でも妙にビリビリとした、微弱な電気が走ったような衝撃を脳が覚えている。

確かに感想としては「あぁ、こう見えるんだ」程度のもの。

内部同士での視点ではそれぞれが個性的に見えたままになる。
特に写真のサークルに関しては、失礼な表現だが変な奴のゴッタ煮状態。
個性がなくなりようが無いじゃないか、という感想もなくはないのかもしれない。

しかし一歩引いてみると群集全体での個性に切り替わる。
例えば公園を見たときに鬼ごっこしている小学生がいたとしてみよう。

最初の印象は小さい子供たちが遊んでいる。
元気だな。小学生かな?楽しそうだな。

こういった全体的な印象を先に受け取ると思う。
恐らくこれは「集団としての個性」であって、個々の持っているものとはまた別のもの。

そこからしばらく眺めていると背が大きい小さい、足が早い遅いなどが目に付き始める。
個々の性質という点ではここからで、大抵の場合は擦違いざまに見るだけだからそこまでしっかりとは目に入ってこない。

だから当人達が「個性的で楽しい奴ら」と思っている印象は回りには伝わらない。
その一見ネガティブに捕らえられそうな特徴が非常に面白かった。

写真サークルの人たちは基本的に良い人だし、面白い人たちだ。
でもそれを理解するには内々の視点でないとわからないし、それを知り得るには少し高いハードルを飛ばないと行けない。

ちなみに前出の「好きだった先輩」が秀でていたのはこの部分だろう。
あの人は嘘か本当かはわからないが物事を上手く誇張し、立体的に多角的に魅せる方法を知っていた。
それ故に彼が話す思い出話にはいつも、涙が出るほど笑わせてもらった。

多分彼には観測的視点っていうのが備わっていたのだと思う。
だから内々のものを外から見たときに、どのように伝えたら良いのかという問題を解消できていたのだと思う。
自分は未だにあんな頭の良い人を見たことがない。

そして彼との出会いがあったからこそ、自分は今の視点を手に入れることが出来た。
彼が居なかったら、恐らく相方に対するサポートも何も無かっただろう。

そう、私は彼のコピーなのだ。
by yijin | 2011-11-06 11:30

by yijin