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ワカルヤツ限定

yijin.exblog.jp

ここは感情のゴミ捨て場です。

揺れた揺れた。
朝からさすがにびっくりしてしまったよ。

でもそれだけ。

さすが地震大国だね。
これくらいじゃびくともしないとは。
# by yijin | 2009-08-11 08:59
いろいろなことに気を回して、結果として良くない答えに辿り着く。
その度に自分には人間関係の能力と言うのが無いのだと痛感してしまう。

なんだか無性に腹が立つ。
# by yijin | 2009-07-15 16:39
新作のDQ9が滅茶苦茶な評価を貰ってるみたいですね。
僕はドラクエシリーズ自体に触れたことが殆ど無いのでわかんないんですが、読んでいても「よっぽど」なんだろうなぁ…と。

ところでゲームにおける自由度ってどれくらい必要なんですかね。
個人的には不要な気がします。

基本は(1)やれないこと、(2)やれること、(3)やらなくてはいけないこと、の3つに別れると思うんですよ。
そのうちゲームの根幹は(3)にあって、(2)はプレイスタイルや自由度ということになり、(1)はそれに対する制限という感じで、それぞれ影響する場所が違うと思います。

このうちハイテクゲームには(2)を増やしすぎて味を薄めてしまうことが多いような気がします。
やれることが多いと言うのは自由な気がしますが、変な話、不便なのを遊ぶのがゲームだと思うんですよね。

普通に考えたら出来るだろ!って道を、あえて塞いで遠回りの道を探させる。
この言い方を変えると、そのまま「謎解き」や「テクニック」というものに集約されるんじゃないでしょうか。
だから意外と、極端に(2)を増やさない方が楽しめるんじゃないかなぁと言う風に考えたりしています。

今回のドラクエがどうなのかは知りませんが、メーカー側は少しハードルを下げて考えた方が良いんじゃないでしょうか。

またハイテクゲームの多くは(2)を体系的に管理する傾向があります。
ようするにスキル性だったりアイテムだったり、レベルや職業というものですね。

例えばオセロでは置く場所が決まっていません。
(1)の制限が入っていますが、基本的には体系というのは存在せず、プレイヤーの判断に任されています。
まぁ実際レトロタイプのもので、ゲーム最中にそれを管理し続けるのは無理ですから、仕方が無いことなのかもしれませんね。

ただ逆に言えばハイテクゲームではその管理をし過ぎている可能性というのも否定できないと思います。

もちろん(2)を体系的に扱えば、上位のものではそれだけ(1)の制限や(3)のクリアしなくてはならないポイント、というのが現れてきます。
そうなるとゲームの中にゲームを作ることになってしまい、またその中で「体系を管理し続けるため」のゲームというものを構成する必要が出てきてしまいます。

しかしそれでは(2)から外にはみ出した部分(ゲームの根幹を管理するポイント)の存在感ってなくなりませんかね?
気がつけばいつの間にか「できることの体系を管理するゲーム」になってしまうような気がします。
これでは広いはずの世界が狭く感じるのは仕方が無いことでは無いでしょうか。

それを補うようにプレイタイムを伸ばす長編化というのが出てきたのではないか、というようにも思います。
MMO系等でアップデートされ続ける「追加シナリオ」はこれに当てはまるんじゃないでしょうか。

トランプや将棋などのレトロタイプのものがそれら追加もなく、長く遊べているのは、(2)の体系管理が必要ないからとも考えることが出来ると思います。
そう考えるとゲームは表現上進化していますが、実質的には退化しているのかもしれませんね。
# by yijin | 2009-07-15 11:13
七夕です。

北の方では8月7日らしいですが、こちらは今日が七夕です。
時差があることから考えると、この一ヶ月の間くらいは織姫と彦星は会えているのかもしれません。
ま、大人なんでやることは決まってますね。

ところで実際に天の川を渡るには、光の速さで7年半ほど掛かるそうです。
川の中ごろで会うと想定すると、今年の二人は2005年に出発したことになります。

そして帰宅が2012年。
となれば地デジに切り替わっているわ、彗星が地球に近づくわと随分と環境が変わっていますね。
しかし、そのころには今の世の中はどう変わっているんでしょうね?

とりあえず七夕おめでとうございます。
# by yijin | 2009-07-07 13:39
先日の三沢選手の事故死について、多くのブログや日記を見ました。
その中で気になったのが「ハッスル批判」でした。

命を懸けてリングに立っているという理屈はわかる。
ただそれだけで芸能人がプロレスをやるのはお門違いだ!という理論には繋がらない。

もしハッスルで同様の事件が起きたなら、素人には危険だからという話にもなる。
当然技術論にも踏み込まれるだろうし、環境やリング作りその他においても課題が浮き彫りになるだろう。

しかし、今回命を落としたのは歴史あるスタイルや技術を継承した、経験豊富なトップレスラーだ。
ハッスルという新団体でもなければ素人でもないし、技術が不足しているとは考えられない。
この点について、日記を記した人はどう考えているのだろうか?

僕がハッスルについて評価しているのは、適正レベルにあった試合をしている点にある。
危険な技よりも行間の説明を増やすことで試合展開をわかりやすくしている。
そして試合数を少なくし、身体への負担を抑えている。

結果的にそうなったという話もあるかもしれないが、これはこれで一つの形ではないだろうか。
個人的にはそういったものを廃除し続けた結果として、今回の事件に到達してしまったような気がしなくも無い。
# by yijin | 2009-06-25 15:08

by yijin